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大切な人を失うのは大変切ないことです。
先日、尊敬する比較地誌学の先生が退官された。
歳は60をちょい過ぎた感じにだと聞かされている。
まだまだこれからも大学で教鞭がとれるくらいの元気さと情熱を持っていた。
先生はどんな落ちこぼれの生徒でも必ず卒論を書かせることで有名だ。
最後の提出締切ギリギリまで先生のゼミ教室では、
部屋の明かりが夜遅くまで灯っている。
先生からまだ教わりたいことがたくさんあったのに・・・
うちの教授もいつになく真剣な顔で別れの言葉を伝えていた。
その先生が大学へ残した言葉は
「ichigo-ichie(一期一会)」
日本語だとおっしゃっていたので調べてみると先生らしい言葉だと
しみじみと実感した。
(ヒュー・シェトランドの研究ノートより)
1070年3月7日
我が領内はこれまでになく規律と政情が安定しているとの報告を受けた。
激しい戦乱に巻き込まれずにいることが幸いしたのだろう。

1070年7月9日
今度はさすがに女の子が産まれた。
名前をスヴァンヒルドと名付けた。
1071年2月21日
妻の心配ばかりしていたのだが、
自分が病に罹ってしまった。
神よ、せめてうちの子供たちが成人するまで我が命を…

1071年3月12日
長患いの闘病生活の末、ブディヴォイさんが先に旅立ってしまわれた。

1071年10月14日
あやしげなまじない師が我が領内にやってきた。
なんでも、報酬を払えば病を治すといってきている。
今はわが身が大事なのでここは報酬を払うことにした。

1071年10月17日
気がついてみたら病の症状が消えた。
あのまじない師は神の使いだったのかもしれない。
1072年3月15日
グリムと大喧嘩した。
他家への仕官を希望していたので勝手にしろ!といい、暇を与えたのだが…
何故かまだいる。
あれだけ口論したのに不思議なものだ
1073年5月16日
嫁のマリアが4人目の子供を授かった。
出産予定日までが待ち遠しい
1074年2月14日
悲報を受けたのは領内の見回りを終えて城へ着いてからだった。
妻マリアとそのお腹の子供は二人とも私の元から天国へ召された。
あまりに悲しくて食事も喉に通らない

1074年3月14日
私のあまりの悲しみを心配してなのかアルヴおじさん夫妻らが水面下で
新しい嫁をさがしてきた。
渋々とお見合いしたのだが、彼女は変だ。
神学者でありながら、不信心を持ち、何故か貞操を大事にしている。
掴み所の無い彼女に一目惚れした。

名前はインゲボルグ・リルメ
30歳を過ぎて初婚なのはよほどの訳があるのだろう
この先の人生まだ長いと思うのでマリアも許してくれるだろう…たぶん



オックスフォードの空はいつになく悲しげにしとしと雨が降っている。
明日は晴れたら気持ちよく外の芝生で本でも読みたいと思う。
うちの教授はなにやらボンボンと口ずさんでウイスキーを湯飲みで啜っている。
たしかこんなメロディーの曲だった気が・・・
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